2024年


ーーー3/5−−−  赤裸々な自己否定の男


 
一昨年の参議院選挙で、長野選挙区に立候補した男。いわゆる芸能人である。20年ほど前から、県内のラジオ番組に出演し、人気パーソナリティーとしての地位を築いていた。その知名度から、選挙戦の中盤まで優勢とされていたが、最後になって過去の女性スキャンダルが週刊誌で暴露され、一気に評判を落とし、結局落選した。

 たまたまその落選時の記者会見を、テレビで見たのだが、ちょっと驚いた。細かい言い回しは憶えてないが、とにかく「自分は人間として最低だ」とか、「不誠実、無責任などうしようも無い人間だ」などの自己否定が、繰り返し述べられていたのである。まるで懺悔を聞いているいるようだった。

 先日ある人と話をしていて、この会見のことが話題に上った。私が「これほど自己否定を赤裸々に述べる人は珍しいと思う」と言ったら、相手は「それがまた非難の的になったらしいですよ。彼に投票をした30万人以上の人々に対して失礼だと」。つまり、自らを悪く言うのは、選んだ人たちを悪く言うのと同じだと。

 そのような非難の出処は分からないが、ちょっと嫌な感じがした。私はそのスキャンダル男の肩を持つつもりは毛頭ないが、自らの非を正直に認め、反省を述べるのは、人間として非難されるべき事ではないと思うからである。それとも、自分に投票をした人々の心を満たすために、「週刊誌に書かれたスキャンダルは事実ですが、本当は私は良い人なのです」と言って欲しかったのか。

 「票を投じた人たちの心情に思いが至らないような人物は、そもそも政治家としての適性に欠けていた」というような事も言われていたようである。それでは、政治家としての適性とは、正直であることより、言い逃れ、ごまかし、開き直りに長けていることなのか。

 男は、記者会見の中で「政治の世界は恐ろしい」という言葉を述べていた。それが具体的に何を意味するかは語っていなかったが、政治の舞台に立つ前ですら、よほど骨身にしみた事があったに違いない。

 どうやら、政治の世界は一般市民の常識や価値観とは異なるもので動いているようである。その男の会見に批判を寄せてこき下ろしたのも、政治関係の連中ではないかと想像する。

 ところで、男は選挙に出馬を決めた時分に、突然担当していた番組から姿をくらました。ようするに、番組をすっぽかしたのである。もはや業界への復帰は不可能だろう。人気パーソナリティーの、一巻の終わりである。担ぎ出され、一時は夢を見たが、敗北して多くを失った。男はいま、自らの軽率な行為の愚を、噛みしめていることだろう。





ーーー3/12−−−  重大なミスが無い手作業


 
二年前から、象嵌を施した木製のアクセサリー・プレートを作っている。二年間でおよそ700ヶを納入した。最近、ふと気が付いたのだが、これだけの数を作っていて、ミスは一度も無かった。手順を間違える、寸法を間違えるというようなミスで、製作中の品物を没にしたことが、一度も無かったのである。

 一般的に言って、木工作業にミスは付き物である。しょっちゅうミスを犯すわけでは無いが、たまに発生するミスを完全に防ぐことは出来ない。ミスを犯せば、時間も、材料も無駄になるので、予防策を講じてミスをしないように気を配る。それでも、やらかしてしまう。ミスとは、そういう物である。

 加工を機械に依存する度合いが大きいほど、決定的で取り返しのつかないミスとなる。寸法を間違えて切ったり、部材の表裏や方向を間違えて穴を開けてしまう、というようなミスは、材料の損失を伴う場合が多い。そういう重大なミスは、たいてい機械に部材をセットする際に、その原因が発生している。機械は便利であるが、その便利さの陰に、何か人間の感覚が追いつかない、行き届かない部分があるのだろう。

 冒頭に述べたアクセサリー・プレートの仕事も、もちろん機械を使うが、依存度は低い。象嵌加工は純粋な手作業だし、その後の整形加工も、機械にセットして進める流れ作業ではない。そのような作業形態だから、能率は低くとも、目が行き届き、ミスを犯すことが無いのだと思う。

 ここで、あるエピソードを思い出した。

 安曇平の北の方に、エレキギターのボディーを製作する工場があった。そこに材木を持ち込んで、乾燥炉に入れて貰っていた時期があった。そこの工場長は、たいそうな働き者で、工場で一番良く働く人と言われていた。その方と話を交わしたことがあった。

 その当時、エレキギターは良く売れていて、その工場も交代勤務の態勢を取るほど忙しかった。私が「商売繁盛でけっこうですね」とおべんちゃらを言ったら、工場長は暗い顔になって、「昔は良かったが、今はたいへんだ」と述べた。昔は職人が手作業で作っていたが、需要が増えるにつれて機械化が進み、NC加工機などを使ったオートメーション方式となった。一つのロットが大量になると、機械のセットを一つ間違えれば、気が付いた時には膨大な不良品が発生している。その恐怖にさいなまれ、気が休まる時が無いと。

 「昔は、物を作る楽しさがあったが、今では面白いどころか、辛い事の方が多い」と、初老の工場長はこぼした。

 そういう面から見れば、私が現在取り組んでいる象嵌加工の仕事は、物を作る楽しさ、面白さ、やりがいが感じられて、幸せな事だと思う。





ーーー3/19−−−  母の料理(回想)


 
こんな事を言うと、草場の陰から睨まれそうだが、私の母は料理が得意でなかった。不器用な人では無かったと思うが、性格に大雑把なところがあり、細かい事にあまり気を留めなかった。それが料理にも出たのだと思う。

 一番印象に残っているのは、ロールキャベツなどかけるホワイトソース。母が作るホワイトソースは、いつもダマダマが入っていた。小麦粉を炒める際の手際が悪かったのだろう。それがいつもの事なので、私は社会人になって家を離れるまで、ホワイトソースとはそういう物だと思っていた。ナタデココのような粒が入っているソースだと理解していたのである。

 だから、結婚して初めて、家内が作った滑らかなホワイトソースを見て、「これは違う」と感じたくらいであった。

 次に思い出すのは、餃子。母は子供の頃、満州で育ったので、本場中国の餃子を知っていたようである。私が子供の時分から、よく餃子を作って夕食の膳に出していた。その頃は、水餃子は珍しく、中華料理店に行ってもメニューに見付けることはほとんど無かった。その水餃子が、母の自慢料理の一つだった。

 水餃子とセットで、焼き餃子も作ったが、これがひどかった。皿の上に、無残に焼け焦げて、皮が破れて中身がはみ出した餃子が並んでいた。なんだか、戦場の残酷なシーンを連想させるような代物だった。穂高の暮らしでは、普段の食事は別々だったが、たまに両親の部屋の食卓で焼き餃子を見る機会があると、相変わらずそのような姿で供されていた。

 ホワイトソースにしろ、焼き餃子にしろ、どうして母は改善しようとしなかったのか、わからない。

 そんな母だったが、自分で作るということに関して、意欲的な面はあった。料理の事は憶えていないが、お菓子類はよく作って食べさせてくれた。ドーナッツやクッキー、ケーキや蒸しパンなどを、しょっちゅう作っていた。遊びに来た近所の友だちに、おやつに出したら、喜んで食べていた。それを目当てに来る友だちもいた。

 今から60年ほど前のことである。飴やチョコレート、ガムなどの駄菓子は店で売っていたが、洋風のお菓子はデパートにでも行かなければ目にすることも無かった。その一方で、婦人雑誌などの影響があったのか、家庭でお菓子を作ることが流行った時代でもあった。私の母も、そういう先進的なことは積極的に取り入れる、モダンレディーだったのである。




ーーー3/26−−−  美人にヘソ


 
本来あるべきものが無い、大切なものが欠けている、という事を言いたい時に、何と表現するか。私は「美人にヘソが無いようなものだ」という表現を、好んで使って来た。もちろん自分で考え付いたことでは無い。何かの文学書に、そのような表現を見て気に入り、使うようになったのだ。

 なかなか面白い表現だと思う。あまりピンと来ないとも言えるが、そこがまた奥ゆかしい。言うまでもなく、ヘソというのがポイントである。ヘソを別のパーツに置き換えたらどうだろう。「美人に鼻が無いようなものだ」では面白くないし、グロテスクでもある。「美人に髪が無いようなものだ」では、イメージが現実的に過ぎて、つまらない。

 ヘソというのは、普段は服の下に隠れているパーツであり、有っても無くてもよいようなものである。しかし、美人のお腹にそれが無いシーンを想像すると、なんだか間が抜けていて、他の全てが整っていても、台無しという感じがする。女性がおヘソを露わにすることなど、普通の生活ではあり得ないことだが、その見えない部分に想像をめぐらされるところが、この表現の複雑怪奇な面白さであろう。

 ところで先日、息子と話をしていたとき、似たようなシチュエーションになり、息子はこう言った、

 「お父さん、それじゃまるで、亀に甲羅が無いようなもんだよ」。

 これはまた、単刀直入で滑稽な表現であった。